alone in the night

In the dark, in the quiet.

器量の悪さ、空気の読めなさ

今月から社会人になった。大学のとき住んでいた市より物価が高く不便で、なおかつ面白味のないつまらない市に来た。だが暇な時間もあった大学生の時と違い遊ぶことは頭には入っておらず基本的には会社とアパートの往復、時々スーパーという感覚なので、これでいいのかもしれない。

懐かしくてたまらないけど思い出は心の片隅の引き出しにいれて、今の環境を受容しなければいけない。大学生のころだって嫌なこといっぱいあったじゃん。しのうとしたことあったじゃん。あの頃に戻りたいわけじゃないからまだましなんだと思う。

 

とにかく仕事がとっても難しそうなのだ。今はまだ研修中で、各部署の見学をして説明を受けているだけだが、できそうにない。もうこわい。

 

今日から製造部の研修が始まった。作業着を用意する必要があるため事前に服のサイズを聞かれ、Lと言えばいいのにMと答えてしまった。案の定下半身がパツパツ、下着のラインが見えるひどい格好で研修を受ける羽目になった。それはともに研修を受けた同期の女子も同様だった。

昼に総務に作業着のサイズを変えるもらうよう頼み、3時ごろ製造部の人からLサイズのそれをいただき、今日着たMサイズのそれは洗濯して返すように言われた。

 

どこに返せばいいかわからず、帰りに製造部の各エリアを回りながら説明してくれた上長に事情を説明してどこに返せばよいか聞いた。とりあえずここ(製造部のオフィス)に、と言われた。

 

これの何が悪いか。

1.作業着の詳細(ユニセックスorレディース)を聞いておくべきだった

作業着にメンズレディースの区別があるかどうかを聞いておけばMだなんて言わなかった。これは完全に自分の確認不足である。それに、ほとんどのメーカーで服のサイズがLなんだから...

2.同じ境遇の同期女子へのデリカシーのなさと恥知らず加減

大体帰り際にオフィスに返し、返却場所を指定されたらそのときに動けばいいのに、製造部の上長に今日来た作業着がサイズ合わなくて大きいサイズもらったんですけど小さいサイズの作業着どこに返せばいいですか~なんていきなり人前できく私は同期の人へのデリカシーに欠けていた。

 

さらにその人には名字で呼ばれており、明らかに仕事上の付き合いの人という意思表示がなされているのに今日私はプライベートに踏み込むようななれなれしい言動をして少し引かれてしまった。

なんとなくいままで友達が出来なかった理由が分かった気がする。他にも要因はいっぱいあるけど。

 

 

 

 

book:処刑の科学

20年以上前の古い本だった。アメリカを中心に世界の処刑の歴史や事例が書かれていた。このような本を書くほどなのでもちろん著者は死刑制度賛成のようで、死刑制度反対という人は犯罪被害者を軽視しておりそれらの見解は知的自己満足を超えないなどと書いていた。

 

私も死刑制度には賛成だが、死刑を求刑するには絶対に冤罪はあってはならない。確実な証拠が無いならやはり死刑を求刑すべきでは無いと思う。

 

最後に、健康な死刑囚の体を臓器移植に用いる提案(臓器の摘出をもって処刑とする)がなされていたが、これは新たな陰謀に繋がりそうなので私は反対だ。ただ、死刑囚本人が死後にそうされることを望んだ場合は考えてもいいのかもしれない。犯罪者の臓器を欲しがる人がいるかは別として。

 

また解説として、殺人罪で収監されていた日本人による元囚人たちの座談会と刑務官へのインタビューが収録されていた。有期刑の人が死刑賛成、無期刑の人が死刑反対を示す傾向にあり、やはり死を感じたか否かがポイントだと思った。でもやっぱり死刑を求刑されるというのは、それだけのことをしたということであろう。

 

また、仕事でも人を殺したくなかった、重い口を開いてくれた刑務官へのインタビューの最後に死刑執行人への皮肉を込めた川柳があったけど、わざわざインタビューに応えてくれた刑務官への感謝はないんか?と思った…。私の頭では理解できない意味だったのかもしれないけど。

book:「合理的思考」の教科書

確たる証拠がないのに思い込んでしまう私にとっては薬になるような本だった。医師が書いていることもあり医学や対患者でのケースがよく書かれていた。

 

イメージだけで判断しない。わかったつもりにならない。(あの人はゆとり世代だから仕事ができないなど。上司の指導や五月病など別に問題があってゆとり世代であることと関係ないかもしれない。)

経験だけで判断しない。その経験は偶然得たものかもしれない。

メディアの情報は参考程度にし鵜呑みにしない。

正解がないことは世の中にたくさんある。白黒はっきりしないことに向き合って葛藤する。

 

また、世の中に散乱する数字のトリックを知った。

 

・相対的な数字と絶対的な数字

例えば利益30%UPとかかれていても、3%の利益が4%になっただけなのかもしれない。それだと相対的には(4-3)/3で約30%の上昇だが、

絶対的な数字でみるとたったの1%の上昇にしかならない。

もっとも1%利益が上がることがとても良いことである場合もあるのかもしれないけど…。

・分母を見る

見れなくても意識する。100人合格!と書いてあっても、2000人中なのか100人中なのかで意味合いは変わって来る。だから分母も見ずにおおすごい!などと思ってはあとで後悔するかもしれない。

 

原因には根本的な問題である遠因と直接的な問題である近因があり、近因を対策するのは遠因より楽だが、中期的なチェックを入れて遠因を対策する必要がある。

謎の病気による死者が多く発生した地域を見つけその中心にあった井戸を使用禁止にしたことで、直接的な原因がわからないままその病気の死者が増えることを食い止めることに成功したブロードストリート事件のように、100%の原因解明にこだわらない方がいいこともある。どこかで判断を下す必要がある。

book:自分のためのエコロジー

自分が快適になるような選択でもってエコな暮らしをしよう、と推奨している本だった。

座布団とその上に置いた鉄製の置物。何も細工をしていない状態では、どちらの温度も同じ。だが触ってみた時の体感温度は異なる。鉄製の置物の方が冷たい。なぜか。布より金属のほうが熱伝導率が高く、手の熱がより早く伝わる(逃げてしまう)から。

 

木造建築しかなかった時代は周りの環境をうまく利用することで災害や寒暖から身を守っていた。例えば沖縄のある集落では家の周りに木を植えて防風林を作ることで台風から家々を守っている。

これを著者は依存型共生と言っていた。技術が依存型だから防風林をつくるなど環境と共生するタイプ。自分の家だけでは災害や寒暖に太刀打ちできないしかし建築の技術が発達した今、環境と共生する必要がなくなり、自分の家だけで完結できるようになった。これを自立型孤立と言っていた。技術は自立型しているために環境から切り離されたタイプ。

この本では自立型かつ共生を目指しエゴなんだけどエコな暮らしを推奨している。

 

全体を良くしようとするとき、小さな身の回りの単位のことだけを考えると上手くいく。鳥が綺麗に群れになって飛んでいるが、それは鳥同士が綿密なコミュニケーションを取っているのではない。群れの方向に飛ぶ、ぶつかりそうになったら離れるなど、せいぜい自分の身の回りのことしか考えていない。それでも全体で上手くいく。これは普段の集団生活にも応用がききそうな考えだと思った。

 

環境問題を考えるとき、環境を守らないと!ではなく毎年暑くなってる。自分たちは損してる。どうしたら得する(快適に過ごせる)だろう、と考えることが大事。だが本文で書かれていたことは、家の周りに木を植えるなど大掛かりなことが多かった。緑のカーテンも集合住宅なら近所迷惑になるかもしれないし、なにより洗濯物を干す際に邪魔にならないかなあと。

 

夏は家でクーラーをかける頻度を減らして図書館などで過ごすとか、車を使わずに自転車、公共交通機関でお出かけするとか。私にはそういうことしかできないと思った。

偶然、それとも

又吉大先生(ピース・又吉のことをその独特の雰囲気や感性、文才から私は大先生と呼んでいる)のエッセイ『第2図書係補佐』に収録されているエピソードに、占いの話がある。

2006年、大先生が26歳のとき。大先生が友人と占い師に手相を見てもらった際に、占い師が大先生の年齢を聞いた後、手を見ながら

 

「26…27…34…35あっ!」

 

と言って手を離した。おかげで35歳に何が起こるのか不安になったという話だ。

 

 

大先生35歳といえば、2015年、つまり芥川賞を受賞したときの年齢だ!

 

占い師は何かいいことを予感していたのだろうか。久しぶりにエッセイを読んでハッとした。大先生は占ってもらったことを覚えているだろうか。

変な日本語

服の表示が変な日本語だった。

何年も前に買った服なのに今気づいた。

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ブラノシング、同糸、色泣き…

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所々濁点がない。

 

この服は中国製である。向こうの人が表示も作ってるからこういうことになるのだろうな。

(服がぐしゃぐしゃなのは、この服は着用後の服であり、洗濯するために洗濯カゴに入れてあったため。)